棲みついているもの。

大学のとき、
生物の生息地について考えることが多くあった。
その生物の生活史や他の生物との関係を含めた場というもの。


でも、
人についてはなかなか疎い気もする。
人、で言うと、宇宙に至るまでどえらいところに住んでいるし、
各地を転々とする者もいる。


じゃあ、
どういうところなら住めるの?と言うと、
なかなかに難しい。
インフラが整っているだの何だの言えるのだろうけど、
しっくりこない。


中学の頃、
国語の教科書にカゲロウの生涯に思いを馳せ、
I was born. という英語の書き方から、
生まれたくて生まれたのでは無く、
生まれさせられたんだ!と、それこそ中学生が考えてた文章があった。


何となくは、
それに近いかもしれない。
どこに住めるも何も、
もう住んでいるというか、何というか。
(これはそれだけで幸運なことなのだろうけど)


誰かしらの暮らしに入り込むかたちで、
引き継ぐかたちで住み始める。
だから、その場所や暮らしぶりも
その誰かしらやら何かしらのものであったり、
気づけば自分に引き継がれた何かしらであったり。




住む場所を変え、
そこに暮らす人を見ているとそんなことを思う。


ここに来て思うのは、
妖精や妖怪や精霊やらの存在を身近に感じるということ。
というか、僕の目からしたら、
ここに棲む人は妖精かのごとく映ります。


いつの間にか花が生けてあったり、
草が抜かれていたり、
家に作物が置いてあったり。
(お地蔵さんに傘をかけたことは無いんだけれど)


そんな話が生まれることが不思議では無いと考え出した。
全然違う暮らしをしていたものが、
ふらりと迷い込んだなら、
帰って、あの山奥にはこんな人がおってな、って、語るよね。


そう考えだしたら、
語られてきたものってのがより愛しくなってきた。
ここには民話の語り部もいる。
もしかしたら僕の地元にもいたのかもしれないけど、
僕はこの語り部がいつまでも語り継いで欲しいし、
新たな語りも生まれるとまたいいなとも思うし、
其処此処で棲みつくといいと思う。



ちょっと妖精話に流れたけど、
思うのは、
妖精のように、もはやそこでしか暮らすことの出来ない存在がいるということ。
そこにあるのは住む条件や何やでは無く、
そこであるということ。


そこでの暮らしを知っているということもあるだろうし、
自分に引き継がれているもの、見ているものもあるだろう。
長い時間の流れと、今そこに広がっているもの、
そんな時空間の広がりが条件と言えば条件かもしれない。


今そこに棲む人々は、あまりそういったことは話さないかもしれないが、
人と人、人と自然の中やら間に棲む何かしらが語っているように思う。
棲んでます。って。


うん。棲んでんね。