そこで暮らすということ。

其処此処でけっこう大変だと思います。


よく、新生活と書かれているけど、
新っていうと、まあ、新しいっちゃ新しいんだけど、
生きていくために必要なことが変わっているわけでは無いから、
一文字加えて、新鮮な生活(これは2文字だろうか、3文字だろうか)と呼ぶことにしよう。


そして、
わたくしもこの春より、今までよりも少し新鮮な生活を送っている。
この新鮮さを自分のペースで味わうことが出来るようになるまでに、一月半かかった。
新鮮な暮らしが出来るようになるにはさらに一月かかった(ここまでに二ヶ月半)。


ははっ、けっこう時間がかかるもんだね。


今までの暮らしからの変化は大きく、
建築や都市の機能や構造について今まで以上に考えるようになった。
暮らし方というか、そこで生きていくためにやっている行動を通して。


雨戸を閉めること、開けること。
火を焚くこと。
山へ向かうこと、田畑へ向かうこと。
声をかけること。


風雨や外敵から建築を守るためにも雨戸を閉める。
畳や部材をカビや虫か守る上でも、光を入れるためにも雨戸を開ける。
茅葺きの屋根が強くするためにも、虫を防ぐためにも火を焚く。
食べ物、焚き物を確保するためにも山へ向かう。
季節や天候の変化に合わせて作物を育てていくためにも田畑へ向かう。
声をかける。


そのときにしか出来ないことが多いから、
動き出しがとにかく早い。
動き出せるように変化を察知し、準備している。
その動き方、時間の流れ方は、
今までの僕の暮らしと大きく違った。


見ている対象やアウトプットのかたちが変わると、
その見方もアウトプットに至る道中もやはり変わる。
見方というよりも見る方法と言った方がよいかもしれない。


そんなこんなをみんな其処此処で何やかんややってんだろうなと思い、
そこで暮らすってのはなかなか色々だなと改めて思った日だった。


ちなみに、
僕が自分のペースで過ごせるようになったと思ったのは、
twitterやらfacebookに記録を残し出したとき。
暮らしが出来るようになったと思ったのは、
食器洗って、洗濯して、もらったいんげんを茹でて食べたとき。
というか、今日。



いやー、そこで暮らすってのは、何ともおもしろいもんだね。
動いたからだが教えてくれました。