いるんです。

そこに、
何かしらが存在しているというのは、
何とも当たり前かのように思ってしまうけど、
すごく大事なことを表している。と思う。


そこに、
そのように存在しているのは、
そこは、
そのように存在できるから。


それが何だかんだとは、
色々だから特に言わないけど、
単純に、それを認めることができるといいのかもなと思う。


今そこに存在しているということを、
まず認め、そこから考える。
するときっと、まず、いてくれてありがとう。そう思っちゃうから。
或いは、ありがとうございました。かな。ははっ。



こう思えたなら、
きっと現実で考えることができる。
何かを変えようとしたとき、
誰かの顔が思い浮かぶかもしれないし、
どこかの場所や何かしらが思い浮かぶかもしれない。
その度に、
頭の中の世界は現実とつながってくる。
怒った顔やもう嫌だとくたびれた顔や笑顔もありつつ、
少しはよくなったのかもね、何て顔につながったら、現実にできるかもしれない。


かもしれない放題だけど、
そりゃそうだ。わからないことをやろうとしているのだから。
でも、わかっていることもある。
それは、存在していることを認めずに考えると、
その考えの中では、
存在していることを認めることができなくなるということ。


そりゃ存在してない状態で考えたのだから、
存在してないのは当たり前じゃん。何てことになる。
そうなると、言葉のやりどころが、難解。


こんなことを考えると、
一緒に考える方法というよりも、
一緒にそこにあるものを認める方法があるといいんじゃないかと思えてくる。
それも含めて考えるというかもしれないけど、
そこってけっこうごちゃっとなっているから、
早くしないとやばいやばいと考えるよりも、
どしっと今を認めたほうが、それだけで勝手に何かが変わると思う。


どうやったらうまいことやれるだろうか。
それはきっと簡単で、
「これは何?」「これはね・・・」なんてやり取りなんだろう。
どしっとやってみよう。


ここから始めたい。
頭の中と現実を、もっとつなぎたいから。



書こうと思ったことは全然書いてないけど、
人やら場所やら、考えまでも、存在している。
大事な大事な、諸々。


ほんと諸々いるんです。