表情。

僕は表情をみるのが好きだ。
辞書によると、
1.感情や情緒を顔つきや身振りに表すこと。また、その顔つきや身振り。2.一般に、状況・ようす。
とのこと。
僕の中の辞書ではどうだろうか?
僕がみている表情は感情であり、情緒であり、状況・ようすだろう。
しかし、同じとは言えない何かがそこにあるように思える。
僕はその表情に、表情変化にその対象自身をみている。
誰しも行う、決して特別なことではないのだろうが、
僕にとってはそんな意味だろう。


対象を人として、
こんな意味合いを表現するには、どのような言葉が良いのだろうか、

表情をみるのが好き?
人をみるのが好き?
人間観察が好き?
顔をみるのが好き?
目をみるのが好き?

どの言葉も繋げることが出来そうだが、
繋がってくれなさそうでもある。
それぞれの言葉の照らす意味も、
みつめる深度も違うように思える。



最近改めて考える。
僕の言葉は僕にしか使えない。と、言うこと。
だから、僕は僕の言葉を翻訳しなければならない。
その為の辞書を日々書き綴っているわけだが、
綴る程に辞書は複雑さを増し、翻訳は困難になっていく。
いっそ言葉を放棄したくもなるが、
言葉以上に想いを伝える方法を未だ身に付けられずにいる。


たった今気付いたことだが、
人の表情をみて、その人自身をみつめて知ろうと、気付こうとするのは、
僕の表情をみて、僕自身をみつめて知って、気付いて欲しいからなのではないだろうか、と。
きっとそうなんだろう。
溢れた誤差だらけの言葉でなく、言葉をつくりあげていくような。
そんなことを思い描いているのだろう。



そうなると、
僕はどんな表情をしているのだろうか?