触れる。

つい先日、
SANAAについて、
お話を聴かせてもらった。


紹介の中で出てくる思想や実際の作品。
非常にわかりやすくまとまっていて、
紹介してもらえる機会があるのはいいものだなと、
ありがたく思う。


これより当然自己解釈なため、
誤解等あるかと思いますが、
SANAA紹介ではないのであしからず。




紹介の中で、
機能によりきっちりと分けられていた、
建築空間の境界について特に考えられているとのことだった。


ガラス等の透過性の高い素材を用いたり、
高さの違いや死角をつくることにより
境界をつくるのではなく、
境界が生まれるようなものが多くあった。


物理的に境界があると、
すごくわかり易くて考える必要が無くなる。


物理的な境界が存在しないと、
そこで何が出来るのか、出来ないのか、
考え、判断する必要が出てくる。
(或いは、どちらにも言えるが、
 空間の違いによる判断がなされない。
 言わば何でもあり。)


そのため、
その判断がどのようになされるかによって、
その空間の使い心地、使われ心地が決まってくると思う。


紹介の中で、
最後のスライドにこんな言葉があった。
全てを正確には覚えきれていないが、


建築が人に触れ、
人が建築に触れ、
人と人が触れる。
このような言葉だった。


その日の話が、
すごくしっくりきた気がした。



二人は、
境界を無くそうとしているわけではない。


触れるということは、
やはりどこかに境界が存在していて、
その境界に触れることで、
何か共通のルールに近いようなものが読み解かれて、
人と人とが居心地よくいられる。
そんな意味を持っているのではないかな、と。


そんな境界を物理的なものだけでなく、
人の感覚、考えをも用いてうまく描けたらと、
やっているのかなと考えた。


もちろんこれだけではないだろう。
しかし、やはりここをどのように捉えて、
やっていくかが重要に思えた。
だから、


触れる。
この言葉とはずっとつき合っていくのだろうな、と
大事にしたいな、と思った。